5/08/2010

両親の記録として

父・川崎宏が2009年1月に、母・紀志子が2010年4月に永眠しました。父の蔵書は昨年、本人の故郷である愛媛県宇和島市(生まれはアメリカのモンタナ州ですが「宇和島出身」としています)のご好意により引きとっていただき、ただいま数名様が整理してくださっています。本当にありがとうございます。

いよいよすべてを整理するなかで、本人ももう何十年もどこにあるかわからなかったであろう、宇和島時代に地方紙に執筆したものなど出てきました。そして、東京時代には明治村通信の編集を25年しておりましたので、おそらく揃っていることと思います。また、晩年は大和田建樹・鉄道唱歌についての研究が主でした。

まずは、父自身が書いたものをぼちぼち掲載していければと思います。そして膨大な写真・・・紙での保存には限界がありますのでこちらもぼちぼちやってきたいと思います。

母・紀志子も、満州からの引き上げのときのことなど書いたものや、アメリカ大使館時代の葵会会員誌への投稿や俳句などがあります。生前にしてあげられなかったのが残念ですが、ぼちぼち発表していきたいと思います。ゆくゆくはそれぞれの一生をまとめてみたいと思っています。

二人が知人の紹介で出会ったとき、ふたりともすでに40代はじめ&30代後半、今でいうアラフォーでした(父は1921年、母は1924年生まれ)。母は私が生まれてすぐ41になり、子供の頃は両親はまわりのご両親よりちょっと歳とっていること、家が父の本で溢れかえっていることぐらいが変わった点だと思っていましたが、今ではつくづく、ふたりとも面白い人生を精一杯生ききったのだと感じます。そんな親を、私は選んで生まれてきたのでしょう。。母が他界してから、さまざまな感情・感覚がでてきますが、これからもしずかに見つめて、たたえて、感謝して、私の人生を送っていきたいと思います。

昨年も私の住まいであるニューヨークからの行き来でバタバタしてしまい、生前父がお世話になりましたのにまだご挨拶できていない方々がたくさんいらっしゃると思います。もしこの場を偶然見つけてくださったのでしたら、どうぞ御無礼をお許しください。

川崎元素子(もとこ)

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