5/15/2010

宇和島文学漫歩① 南海タイムス1957.7

宇和島文学漫歩① ~川崎宏(吉田高校教論当時)
南海タイムス1957.7

南海タイムスの謎・解消~うわじま(新聞) 2001.5.16

南海タイムス、「幻の新聞展」で異彩放つ
「うわじま」新聞 2001.5.16

1957年ごろの「南海タイムス」紙に、川崎宏が「宇和島文学漫歩」というコーナーで連載していたエッセイのコピーが見つかっていましたが、南海タイムスについて調べてもほとんど情報がありませんでした。今日整理していた中から、2001年の「うわじま」紙のこの記事を愛媛新聞社の方が送ってくださっていたものが出てきて、少し謎が解けました。 「宇和島文学漫歩」をこの後、少しずつ掲載していこうと思います。

『鷗外』第四号 1968.11.30 「『中原渉』宛一通について」&編集覚え書

森鷗外記念会編輯
『鷗外』第四号 1968.11.30
小倉時代の鷗外書簡~「中原渉」宛一通について~川崎宏




森鷗外記念会編輯
『鷗外』第四号 1968.11.30
編輯覚え書~川崎宏

5/14/2010

明治村通信、1970年創刊時ほか

週刊読書人 1970.3.2 「明治村通信」創刊


愛媛新聞(?) 1993年7月ごろ 「Tokyoえひめ人~明治村通信編集人・川崎宏」

父の様子がよくわかる記事。ただし最後の一文は不正確・・遊学とはなんとも優雅な響きですが、
当時はすでにボストンで翻訳会社での編集という定職についておりました。
切り抜きにメモがなく記事元が定かではありません。


5/12/2010

1982.10.30 図書新聞「穂積陳重が故郷に残したもの」

1982.10.30 図書新聞~読書随想・書架紀行~川崎宏(関東学院女子短大教授当時)
「穂積陳重が故郷に残したもの」

1960.12.13 読売「伊予人間模様」

1960.12.13 読売(愛媛版?)
「伊予人間模様~日本比較文学会会員 川崎宏」
母と知り合う2~3年前。

5/08/2010

両親の記録として

父・川崎宏が2009年1月に、母・紀志子が2010年4月に永眠しました。父の蔵書は昨年、本人の故郷である愛媛県宇和島市(生まれはアメリカのモンタナ州ですが「宇和島出身」としています)のご好意により引きとっていただき、ただいま数名様が整理してくださっています。本当にありがとうございます。

いよいよすべてを整理するなかで、本人ももう何十年もどこにあるかわからなかったであろう、宇和島時代に地方紙に執筆したものなど出てきました。そして、東京時代には明治村通信の編集を25年しておりましたので、おそらく揃っていることと思います。また、晩年は大和田建樹・鉄道唱歌についての研究が主でした。

まずは、父自身が書いたものをぼちぼち掲載していければと思います。そして膨大な写真・・・紙での保存には限界がありますのでこちらもぼちぼちやってきたいと思います。

母・紀志子も、満州からの引き上げのときのことなど書いたものや、アメリカ大使館時代の葵会会員誌への投稿や俳句などがあります。生前にしてあげられなかったのが残念ですが、ぼちぼち発表していきたいと思います。ゆくゆくはそれぞれの一生をまとめてみたいと思っています。

二人が知人の紹介で出会ったとき、ふたりともすでに40代はじめ&30代後半、今でいうアラフォーでした(父は1921年、母は1924年生まれ)。母は私が生まれてすぐ41になり、子供の頃は両親はまわりのご両親よりちょっと歳とっていること、家が父の本で溢れかえっていることぐらいが変わった点だと思っていましたが、今ではつくづく、ふたりとも面白い人生を精一杯生ききったのだと感じます。そんな親を、私は選んで生まれてきたのでしょう。。母が他界してから、さまざまな感情・感覚がでてきますが、これからもしずかに見つめて、たたえて、感謝して、私の人生を送っていきたいと思います。

昨年も私の住まいであるニューヨークからの行き来でバタバタしてしまい、生前父がお世話になりましたのにまだご挨拶できていない方々がたくさんいらっしゃると思います。もしこの場を偶然見つけてくださったのでしたら、どうぞ御無礼をお許しください。

川崎元素子(もとこ)